ピッツバーグ熱、一気に高まる
北九州JCが10月に報告会を開いてから、北九州市ではピッツバーグ熱が急速に高まってきた。一つは、“停滞した北九州市を再生させ、元気な街にしよう”が1987年2月に実施された市議選の政策テーマとなり、市長に立候補した末吉興一氏が「景気の浮揚・産業の活性化はルネッサンスで!!」とピッツバーグ再生に重ね合わせたことがある。さらに2月に当選した末吉市長は、同年7月にピッツバーグ市民視察団を派遣。帰国後テレビ各社は一斉にキャンペーンを展開し、市民運動の盛り上がりに大きな役割を果たした。
ピッツバーグを視察して北九州商工会議所も始動
北九州商工会議所も、末吉市長の要請を受けて、1987年9月に米国経済事情視察団を派遣。団長となった安川寛北九州商工会議所会頭をはじめ、深川彌二郎黒崎窯業社長(副団長)、局哲平井筒屋会長、水野勲北九州国際技術協力協会(KITA)理事長、古賀義根東陶機器副社長など、北九州市の経済界を代表される方々の視察により、北九州商工会議所においても北九州市の活性化のために「ピッツバーグに学ぼう」という気運が高まることになる。
北九州版ACCDづくりを模索<
1987年(昭和62)、第35代大貝理事長は、この新しい街づくりを実際に具体化することは、北九州JCだけでは困難だと考え、高橋副理事長とともに北九州JCの先輩である大石正己大石産業社長に相談。大石氏は、協力を引き受け、北九州商工会議所と西日本工業倶楽部に全面的に協力を仰ぐことにした。
各地の街づくり団体を北九州版ACCDに集約
北九州JC内部の地域活性化促進会議を発展的に解消し、新たな組織として、「21世紀構想委員会」「アピール北九州委員会」の2つの委員会を発足させた。
同年5月に、「21世紀構想委員会」の主催により、「21世紀構想意見交換会」を開催。北九州市を活性化させるために、今何をなすべきかについて討議した。大貝理事長は北九州活性化協議会の設置を訴え、活発な意見交換が行われた。その交換会から具体的な提言として「街づくりにおける市民の主体性回復」「シンクタンクの必要性」「グランドデザインと都市アイデンティティーの確立」「地域間の機能分担」「広大な遊休地の高度利用」「福岡経済圏との連携」など、多くの意見がでてきた。
北九州活性化協議会(KPEC)が設立
北九州JCが起こした街づくり事業に連動するかたちで、北九州市、市民、そして政財界が、同一のコンセプトでまとまった。全市で一つの街づくり運動組織体づくりへ向けて動きはじめ、1987年12月、北九州JC、北九州商工会議所、西日本工業倶楽部、北九州青年経営者会議の4団体が母胎となり、活性化を目的とした団体「北九州協議会」を発足させ、1988年4月には、北九州活性化協議会設立委員会が設置された。同年9月、さらに7大学長、まちづくり団体及び女性団体代表なども加わり、100余名が一堂に会し、発起人会を開催、ピッツバーグのACCD版である「北九州活性化協議会(KPEC)」が設立された。発足を記念し、シンポジウム「あすを語ろう」を開催。また、アレゲニー地域開発協議会の専務理事であるロバートピーズ氏に産業構造改革によって甦ったピッツバーグについて話をしていただいた。翌年4月に北九州活性化協議会は、財団法人化され、財団法人設立を記念してシンポジウム「TOMORROW・TALK」を開催した。